師円楽の引退に思う  [5]               

●地域密着型の寄席を

【長期継続の限界】
未来永劫に続く寄席が欲しい。そのためには支援体制をしっかり整えなくてはいけない。わずか2,3名の有志だけで立ち上げた地域寄席が長く続くものではない。しかし、お旦は支援するわけではなく、贔屓にするところで必ず留まる。自分らの懐都合、気分次第、体調のいかんによって落語会を開いたり止めたり幕を下ろしたりする。無理もないか、とも思う。相手は素人であり、落語の未来に対しては責任を一切持たない。金をもらって働くわけではない、善意ですることだから限界はあると。それが怖くて僕はあらかじめお旦には釘を刺す。『どうぞ無理な支援をしないで下さい。自分の出来る範囲で収めてください』と。それでも最後は物別れに終わる。なぜ長続きしないのか?僕の推測はこうだ。「金も出し、客も集め、会場も提供し、自分の忙しい時間を割いて開いたこの落語会。これは、間違いなく自分の所有物である」と、お旦は落語家を猫可愛がりするのと同じ量の愛情で、落語会を自分の懐に両手で固く抱きしめる。さて、ここまで偉そうに学者よろしく現代の世相にメスを入れ、分析を重ね、結論を出そうなど生意気をしてきたが、人の感情という一番厄介なものをどう捉え、解決したらよいか。高い理想なるものを理屈でこね回すこの姿こそが反感の元なのか?結局アプローチの仕方がまずいのだと思う。お旦が立ち上げた落語会が、徐々に膨らんで大きくなり、やがては地元市民が支える寄席へ・・・というその幻想がまずいのだと反省している。お旦というのは終始懐に飛び込んで猫に成りきるか、距離を上手く置いて近づきすぎないようにコントロールするか。自分のキャラに合う選択を迫られる。

【誰のために寄席はあるか?】
先に大阪繁昌亭の未来への明るさを評価した。東京の寄席の停滞、若竹の挫折、お旦の地域寄席の煩雑さ、そして繁昌亭の誕生。これら成り立ちの一番の違いは何か?「寄席を個人の所有物とするか、しないか」である。浦和レッズの興奮と賑わいはどこから来るのか?それはJリーグの理念「地域のお客様の支援で成り立つ」である。各チームそれぞれスポンサーは付くが、それは年単位の更新がある。それどころか、母体となるメインスポンサーの企業名を表に出してはいけないと言う、今まででは考えられないような規制が敷かれている。野球では読売巨人軍であり、バレーボールではサントリーサンバーズであり、バスケットボールはトヨタ自動車アルバルクとごく普通にスポンサーの名前がチーム名である。Jリーグだけは浦和レッズ、ガンバ大阪、アルビレックス新潟とスポンサーが出てこない。地域の名前がチーム名である。つまり、支持母体は企業ではない、地域住民だというのを掲げているのだ。ここに長期継続の大事なポイントがある。大企業といえども先のバブルの崩壊後を見れば分かる。時代の波にさらわれてしまえば、あっけないものだと。一つの企業が50年の命脈を保てるとして、さてその先は分からない。となれば、その企業をスポンサーとしたチームは50年後は潰れる可能性大という、とんでもないはかない支持母体の上につま先立ちになっている姿なのである。寄席は一体誰のためにあるのか?席亭個人が肥え太るためでもなく、落語家が箔を付けるためでもなく、ファンの落下傘部隊欲求に応えるためでもなく、お旦の贔屓の引き倒しのためでもなく。落語を愛する全ての人のためにある。その愛情の象徴が「寄席」というこの世に現れた姿なのである。

【底辺を充実させる】
東京は大阪に後れをとったと言える。市民からの募金によって基金を作り、個人の所有物でない、地域密着型の寄席を立ち上げるのに成功したからだ。東京の落語家は恐らくブームが来たというのにどこかしら首を傾げているに違いない。お客さんが来て下さるのは目の当たりにしているのにかかわらず。それは、繁昌亭のような寄席が立ち上がらないからだ。繁昌亭はこれまでと違う成り立ちであり、新しい時代の象徴でもある。それを実際目にできないのだから、実感に乏しくもなる。だが落語情報誌をみれば分かるように、毎日東京都内、近辺の色々な場所で落語会は開かれている。20人30人というキャパで開かれる、自主興行、あるいはお旦の後押しをもらった地域寄席。それで十分ではないかとも思われる。何が不足なのか?長期継続が望めないからだ。仮にその落語家が健在の間続いても、それ以降この落語会は打ち切りとなる。いや、実際それさえも無理な話で、10年も続けば御の字という長さであろう。もったいない話だ。それら小さな落語会を統轄する機関が存在すれば、どれほどのパワーとなることか。協会はたとえお寿司屋さんの二階でやる10名前後キャパの落語会でも、おせっかいにでもマネージメントをしなくてはいけない。いや、そのような生まれたての雛のような足腰の弱い体勢であるから、なおさら主催の方々と協議をして大事に育てる必要がある。どのように宣伝をするか、どうやって良い高座・楽屋の設備を作るのか、顧客管理の仕方はどうか、地元の商店街をどう巻き込んでゆくのか、地元が贔屓する落語家をどうもり立てるのかを、協会、主催者、落語家が考え、話し合わなければいけない。寄席がレベル1の最高の芸が見られる所なら、その下のレベル2、レベル3も若手育成の場所として、稽古の場所として大切に育てなければいけない。

【寄席は憧れの舞台でなければならない】
頻繁に「寄席」「寄席」とくり返すが、これを昨今ある東京の寄席とイメージしてもらっては困る。お客さんがまばらに座り、一番前で新聞を読んでいる。口演中に席を平気で移動して、演者の気分を冷めさせる。弁当を食う、果ては携帯で会話をする。消防法に引っかかるから止めたのだろうが、それが無ければ未だに客席での喫煙を許すのではないか?客はマナーを知らなさすぎるし、席亭は寄席をまるで無法地帯にとおとしめる。こんな有様で客と芸人との信頼関係が構築されるだろうか?高座の最中、目の前でどんな嫌がらせをされるのだろうかと、上がるたびに「寄席」というのは演者に馬鹿げたプレッシャーを与え続ける。だから一流の芸人は「寄席」に上がりたがらない。そして上がる「芸人」をプライドのないものと軽蔑する。芸人同士の悲しい軋轢が生まれる。だから僕らは作らなくてはいけない。ワールドカップで国代表のユニフォームを着る喜びに匹敵する、晴れがましい、誇りを持てる「寄席」を。そして認識しなくてはいけない。サッカーのサポーターが代表の選手を尊敬し、支援するのと同じように「寄席」の客席に座るということは即ち、目の前の芸人を尊敬し、支援することだと。そして芸人は「寄席」で一回一回の高座に“情熱”を持ち、最高の芸を披露する義務があることを知らなくてはいけない。こんな拙い芸の自分でも幾度かの経験がある。いいお客さんの前で喋った時には、自然と集中力が増し、かつて無いアドリブの台詞が湧いて出て、自分の持てる力、体の底に眠っている才能を「寄席」が引き出してくれる。僕は何時でもこんな高座に憧れている。お客さんも「楽しかった」「感動した」と会話をしながら席を後にする。芸人がそこに上がることを芯から望み、お客さんがそこに行きたいと心から願う。これが僕の言う「寄席」である。


●落語は誇るべき日本の文化

【落語家の美徳】
今起こっている落語ブームは不思議な現象だと書いた。だがこの結果を素直に受け入れて、原因をどこかしらに探そうとすれば、時代の波と言うこと以外に突き当たらないのではないか?冒頭に挙げたように、マルチタレントの終焉が来た、そして芸人の芸を堪能する時代がきたという新しい波。落語家もここで大いに自信を取り戻さなくてはいけない。落語家は江戸時代から永々と続いてきた、日本人の大事な文化を背負っているのだと言うことを。この大事な日本人の宝を私にする等というは非常に虚しく、立身出世のネタなど馬鹿げており、時代遅れだと、この今の時代の波が落語家に語りかけている。落語家がある程度の修行期間を経た後で“師匠”などおこがましい尊称を何故付けられるか思ってみるがいい。口先一つの芸事で、笑いという癒しを与えてくれ、感動という生きる糧を分けてくれる。それを感謝されればこそ、得体の知れない芸人にでも師匠などと言う冠がつくのではないか?僕は落語の世界に家元制度が入り込んできたことに、落語の伝統にそぐわない、摩訶不思議な浮き上がった存在を感じる。落語家の美徳で、他の日本の伝統芸と大きく違うところが一つある。師匠が弟子に寄りかからない、というところだ。金銭的に自立できない者が教え子のお情け、金品を受けとって生きている。これを果たして、先生、師匠と呼ぶべきか?落語の世界も他と同じ師弟の世界であるが、大きく違う。落語家に師事するということは、もうすでにその時点でプロの落語家になったということなのである。だから、落語家は弟子から金を取らない。弟子はお稽古ごとや花嫁修業で芸を教わりに来ているわけではないからだ。落語家の弟子とは、落語界の伝承者であるということを志し、師匠も伝承させる義務があるのだ。

【文化は高い所から低い所へ】
大阪でも繁昌亭一軒では200名の落語家に対して少ないのはいうまでもない。でも、立ち上げ方、運営のノウハウをそこで蓄積すれば、また新しく基金を募って次の寄席を誕生させるのは、かなりな短時間で出来ることであろう。大阪で2軒、5軒そして10軒。そうなればその勢いはまるでドミノ倒しのように日本全国に行き渡るのもさほど難しいものではあるまい。何時の日にか、東京落語界の協会会長は上方落語の芸人さんに・・・そうなればなったで悪くもない。東西交流がスムーズであるから。お互いに刺激をし合うだろう。だが、お客さんとして情けない思いをする人も多いことは論を待たない。東西が拮抗している姿がやはり望ましい。先に若竹を箱物的発想としたが、考えてみればお役人が全国津々浦々に至るまでその箱物、○○文化会館だの○○市民ホールだのを作ってくれたのはありがたいことではなかろうか。寄席だからといってひと月30日をベタで興行する必要はどこにもあるまい。こちらの○○文化会館で5日の興行、続いて近隣の○○市民ホールで10日の興行。落語の利点を大いに生かすが良いと思う。着物の鞄一つでどこへでも気軽に移動できる、こんなにコンパクトな一座もなく、時代の軽量・スピード化に実にマッチしている。もちろんその背景には地域に密着した運営体制が整っており、それによって長期継続できるという土台を広げていかなくてはいけない。東京の寄席発、地域へと伝達される文化の流れ。ドサ回りなんと言ったのは過去のことで、落語家は文化の伝道師という役割を担う。
 
【文化とは手垢を付けてこね上げるもの】
最近、僕が中学生に琴を教える体験をさせていただいた。週に一日ずつ、3クラスを受け持つ先生となるのだ。近頃では音楽の時間に和楽器を選択することが出来るようになっている。僕が中学生の時、オペラをレコードで聞かされた。その感想文に『キーキー喚くだけでうるさいばかりだ』と書いたら大きなペケが5段重ねで付けられ用紙が返ってきた。時代は変わった。その先生にとって音楽とは西洋独占であり、琴や三味線や笙(しょう)やひちりきの音色はイライラするばかりであったのだろう。しかし、そこにもやはりうなずける背景はあると思われる。戦後のアメリカ礼賛はひどいものがあったが、それと同時に日本の邦楽界は音楽家を育てる機関がない、という最大の欠陥を抱えている。なればこそ、なんで落語家が琴の先生?という不思議な役割を仰せつかってしまう。和楽器をいじる時にはまずもって某という先生に就くことから始まる。師弟の契りを結ばないと楽器をいじれないというのだ。どうにも重たくて気軽には入り込めない。とにかく自分が先生の時には生徒に「楽しく、楽しく」とそればかりをくり返した。するとその暗示は功を奏して、楽譜を渡すだけで自分らで勝手に奏で、どんどん覚えていってしまう。これが文化の正体である。自分たちの身近にあって、気軽に楽しめる。そして心が豊かになって行く。楽しみを共感できる喜び。そこに何らの「権威」という不透明で、重たい物を付けるから、あの時の音楽教師みたいのが出来てしまう。あの先生が答案用紙に5段重ねのペケを付ける時にどんな顔つきだったのだろう?今では何か気の毒なものを感じてしまう。落語家の師匠も同じくで「権威」なんかが付くとろくなことはない。

【文化が栄える豊かな暮らし】
テレビを目の敵のように書き「御乱心」の攻撃対象がテレビに変わっただけのようになってしまったことに、忸怩たる思いがある。しかし、テレビは今もこれからも、強いインパクトを視聴者に与え続けることは間違いない。そのテレビと落語が手を取り合ってゆくことは大事であり、それを視聴者も大いに望んでいるのだと確信する。後15年たてば日本は老齢大国のピークを迎えるという。お年寄りにとって落語は最高のお楽しみのひとつである。今は「全国に寄席百軒」というのは未来の夢物語である。しかし、上に書いたように寄席も地域密着の時代である。従って地域に密着したテレビが地元で起こった寄席を宣伝してくれれば、お互いに素敵な相乗効果を生み、お互いが栄えることは間違いないだろうと思う。そしてそれは、テレビと落語家だけがいい思いをするということではなく、テレビと落語家を支えている地域住民の方々の暮らしが豊かになるということなのだ。師匠の円楽は寄席若竹の運営に頓挫した。師匠も批評の対象としてここには挙げた。しかし、寄席を個人の力で立ち上げた“情熱”があったということが僕にはすごく大事なことなのだ。書いたように“情熱”こそが芸人の魂である。僕が芸人であり続ける限り、この意志は必ず継いでみせる。これは最終的に事が成る、成らないではない。「全国に寄席百軒」の意志を、伝統芸の落語と同じように、次の世代にも継いでもらうということなのだ。落語は日本人の身近にある文化である。これからも文化が日本人の暮らしを豊かにし続けますように。


《予告》
ここでは理想、理屈の話だけである。次回にはその具体的な設計図を提示しなければいけないだろう

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