円左衛門の     日本百軒
★芸人は感動の物語を喋るべし★

衆目が集まる中で、バカ笑いのネタしか提供できない芸人は、精神の発達がある年齢で止まってしまった、幼稚な人間に違いない。

自分の心の中を覗かれるのを極端に恐れる。本音は自分の部屋の宝箱に、鍵をかけて秘匿しているからだ。

心の中に納めてある大事な物語。それには必ず感動という動機が付随しているはず。その大事な感動という自分の宝を、他者に覗かれるのを略奪行為と受け取るから、バカ笑いのネタで大衆を煙に巻こうと躍起だ。

感動とは心を動かし、自分の未来の方向性を決める。感動は人の心から他者の心へと必ず伝播する。

感情が動く、これを感動というのだ。これこそが魂のエナジー。だから円左衛門は舞台から客席に向かって絶えず感動を発振しようと努める。



★天才は酔狂に生きよ★

先人が用意した売れ筋のレールからはみ出さずに生きる芸人は、才能というレールから何時かは脱線する宿命にあるだろう。

良い子を演じる芸人は、人からの愛を独占しようとする。自らが他者に対して愛を与えるなぞは、想像だにしない。

自分の持分をどれだけ増やすか?その発想は己の貧しさを証明するだけだ。自分の利益にならない行為を酔狂という。酔狂の行為の連発の先は、世俗の栄光からはおよそ遠い。

天才とは自分が持って生まれた豊かさを何時も感じている。だから天才は何時でも無邪気を失わず、他者に無償の愛を与え続けようとする。

豊かな者はレールに縛られずに、自らの酔狂の道を歩む。円左衛門は酔狂によって、与える者であり続けようとする。



★声なき声に耳を傾けよ★

大衆が発する大声に心がくじける芸人は、己の意識が水と同じく低き方向に流れて、止まろうとしなくなるだろう。

人の意識は絶えず易きに流れようとする。自分の正当性を数の多さに見い出そうと、あたりに目を血走らせている。そして、踏みとどまろうとする者、あるいは高きに向かおうとする者に対して、喉が裂けんばかりの雄叫びを上げる。

自分の惨めさを認めたくないからだ。そのような輩は、自分の傲慢を傷つける者に対しては、馬鹿馬鹿しいほど敏感になる。

逆に自分が謙虚であろうとする者は、努めて自分の声を静かにしようと心がける。相手の発する情報をできるだけクリアな音で捉えようとするからだ。コミュニケーションの要諦を知っている。

大声を発する者と、静かなる者。いずれに知恵が備わり、志が高いのか?円左衛門は心優しくして、自分の強さを知る人々との交わりを、何時でも求め続けて止まない。



★自由の魂ある者は何者かに導かれよ★

この世の中で誰よりも自分が好きでたまらない人間は、自分が見て聞いて読んだ、そんな狭い範囲の世間しか知らずに終わることだろう。

自分が生まれる前には歴史があり、死んだ後には未来が訪れるのに。会ったこともない実に大勢の人がいて、世間には知られずに果てて行った、誠に多くの魂がある。

自分が死んだ後の世界を、この五体を使ってどうやって操作できるものか。今ここに立っている自分こそ、自分の思惑で生まれたのではない。生まれた後もずっと、自分ではコントロール不能な力によって導かれ続けるのだ。

自由の反意語は義務などではない。“無私”だ。自己愛を少なくすることによって、初めて人は自由を想うことが出来る。

魂を開放した自由な者は、時間と空間を飛び超えて、あらゆる魂とリンクすることが出来る。円左衛門は、見ることも聞くことも手に触れることも出来ない、しかし偽りなく存在する確かなる力によって導かれてゆくのを快く想う。

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